応募期間も残り1ヶ月を切ってしまいました。
そんなお昼休み。
本当は、時間を有効に使ってどんどんコピーを書き進めるべきなのですが、ところが今は、標高7000mの恐ろしい場所から飛んでくる コトバ に夢中になっています。
栗城史多(くりき のぶかず)という登山家をご存知でしょうか。
彼は今、たった一人で、あのエベレストの山頂を目指して氷壁に張りついています。
5日の夜の時点で、標高7000mの雪上にテントを張りながら、山頂アタックの可能な気象条件がそろう瞬間を待っています。
インドア派の僕は、海にも山にも詳しくありませんが、エベレストの8000mより上のエリアを デス・ゾーン( 死の地帯 )と呼ぶのは聞いたことがありました。
風速は320kmを超え、気温は-26℃まで下がり、酸素量は平地の1/3しかなく、大気に露出した肌は凍傷の危険にさらされ、肺水腫や脳浮腫の恐怖が迫り、普通の人間が行けば2分で意識を失い、生命を維持出来ず死んでしまう、しかも残された遺体は、誰かに回収してもらわない限り、バクテリアすら住まない氷の世界に永遠に閉じ込められることになるという、まさにデス・ゾーンと呼ぶにふさわしい場所なのです。
世界的に有名な登山家でさえ酸素ボンベを何本も使い、一歩踏み出すたびに必死に呼吸しないと登れないような高所に、この栗城史多という登山家は、酸素ボンベ無しで、しかもたった一人で、足を踏み入れています。
今年で5回目のチャレンジになりますが、過去には死にかけた場面もあります。
前回は、惜しくも7700m地点で引き返すことになったのですが、その時の凍傷が原因で、大切な両手の指を9本も失っています。
そんな信じられない状態にある彼が、昨夜、標高7000mの地点から飛ばして来たコトバと動画がこちらです。
彼の目標は、単独無酸素でエベレストの頂点に立ち、そこから全世界に向けて動画の生中継を行うことにあります。その瞬間は明日かもしれないし、明後日かもしれないし、あるいはもう、永遠に訪れないのかもしれません。
その行為にどんな意味があるのか、なぜそのように命を危険にさらすチャレンジを続けるのか、その真意は、残念ながら文章ではとても表し切れません。
ただ一つ言えることは、今日、こんなに穏かなお昼休みの瞬間にも、ワクワクしながら生死の境を歩いてしまっている日本人登山家がいるという事実です。
そんな人から、昼夜を問わず、生きてる証拠となるコトバや動画がアップされてきたりするものですから、なんだかこちらまで安心して眠らせてもらえません。
安心していられない原因はもう一つ、この本にもあります。
1996年5月10日に、まさにこのデス・ゾーンで発生した、エベレスト大量遭難事故を描いたノンフィクション作品です。
エベレストでの死亡事故発生率は、登りの時よりも、登頂したあとの下りの時に集中しています。それは、頂上に立ちたいという抵抗しがたい欲望が、本来は下山のために残しておくべき体力までも、食い散らかしてしまうからです。
半分くらい読み進むと、こちらの酸素濃度まで下がり、息苦しさを感じる一冊です。
参考に、標高8000mからのコワい一節を抜粋してみます。
28日の朝、私はサウス・コルを横断して、カンシュン・フェースの近くの縁に向かった。去年のあの恐ろしい夜に、難波康子を置いていった場所だ。
彼女は、身体のところどころを雪と氷に覆われていた。
彼女の家族に届けてやろうかと、あたりに散らばる小さい品物を拾い集めた。
それから、ゆっくりと、彼女のもの言わぬ小さな身体に石をかけた。遺体のそばで石に埋もれていた二本のアイスアックスを、目印として、そこに突き立てた。
これが実話なのです。
当時、日本を代表する登山家として知られていた難波康子さんを含め、何人もの犠牲者が出ました。
こんな極限の場所に、今この瞬間も、ひとりの登山家が張りついています。
しかも、登りながらブログなど書いて発信して来るのです。
エベレストの頂上から、コトバが飛ばされて来るのです。
これこそ、本物のチャレンジブログと言えるでしょう。
たった今、確認してみたところ、まだ何とか生きてました。